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2019年12月17日
谷口けいさん、について・・・
Hola! 伊藤です。
4年前から仕上げる事のできなかった記事。
12月になると仕上げられなかった記事をリセット(削除)する。
年を跨ぐなんて、鮮度がないからね。ネタも記事も鮮度が命。
しかし、ずっと未完成で残してあった記事がある。
今年こそはちゃんと向き合って仕上げてみようかと思う。
というのも、先日偶然立ち寄った本屋で見つけた本。
『太陽のかけら ピオレドール・クライマー 谷口けいの青春の輝き』 大石明弘 著
偶然とは思えない。必然の様な気がして仕方がない。
だから、やっぱり今なんだ。
けいさんは2015年12月に雪山で亡くなられてしまったクライマーです。
私、昔ちょっとだけ山に登ってた時期がありました。ちょっとだけです。
けいさんは年齢では1歳年上でしたが、まあ半端ないクライマーです。
そして、ミーハーな私はお会いしたことがあります。静岡の講演会で。
2010年1月31日。ピオレドール賞を受賞した報告会みたいな感じでした。
山岳連盟にも所属していない私でしたが幸運にも参加できました。
素敵な女性でした。キラキラして。可愛かった。本当に太陽みたいだった。
ちゃんと言えば、素敵なクライマーでしたと言う方が正しい。
隣にいた平出さんは、対極にギラギラと鋭い感じがした。もちろん、いい意味で。
ルート取りの解説で「第一の核心部の~」などと言う時の「核心部」の語気に鋭さを感じた。
私はちゃっかり『けいさん特集』が載っている雑誌『山と渓谷2009年12月号』を持ち込み、
講演後、迷惑にならないタイミングでサインをおねだりしちゃいました。
「受賞おめでとうございます。いつも応援してます。頑張ってください。」
「スミマセン、サインして下さい!」
「(雑誌の記事を見て)アハッ(笑)いいですよ!」
そんな感じで快くサインしてくれました。握手もしてもらった。
超興奮して、超緊張して、私は少年の様でした。今でも宝物です。
その後、私はとある山をソロで登っていた時に滑落。
下山を始めて15分。鎖場の一歩目だった。10メートル位落ちただろうか。
ザックの中の水筒やらコッフェルが背中や肋骨を直撃。左膝は変な方向に捻じれていた。
空が見えた。「これはヤバいやつだ。」大声で何度も叫んだ。「ヤバいやつだ!」
シーズンオフで、半日歩いてすれ違った登山者は一人だけ。
そして、昼過ぎの今からサミット直下のここに来る登山者はいないだろう。
この山はそれ程高くはないが、毎年遭難者や遭難死亡者を出している山だ。
「絶対に下山する。帰るんだ。」捻った足を直し、テーピングして下山を開始。
下山は行きとは別ルートだったので、迷ったらシャレにならない。必死だった。
何とか日没ギリギリで登山口に到着。駐車場にとめてあった車に乗り込む。
「あ~、ATでよかった。運転して帰れる。」腫れあがった左膝をさすりながら言った。
たった一歩。たった10mでこのザマだ。不甲斐なさと安堵感で泣けてきた。
「山やってりゃ、そんな事はあるもんだよっ。」て声もきこえそうですが・・・
私は単独行(ソロ登山)どころか、キッパリと山をやめた。
ま、私の昔話はいい。
山登りは止めても、野口健さんの講演会に行ったり、山岳本を読み漁ったりと、
常に山とか自然の話題にはアンテナを張る生活だった。でも、いいニュースばかりではない。
そんな中、2015年12月けいさんは雪山を700mも滑落してしまった。
8000m級のエベレストでなく、日本の雪山。しかも、サミットでのちょっとしたタイミングで。
ニュースで第一報を聞いて信じられなかった。吐きそうだった。
あのけいさんが?サインくれた、笑顔で握手してくれた、けいさん?
翌日、死亡のニュース。まるで友達を亡くしたかの様にショックだった。
たった数時間、同じ場所で同じ空気を吸っただけだけど、
サイン貰って、握手して、スマイルパワーをもらっただけだけど・・・
私にとっての『谷口けい』さんは2010年1月31日のままだ。
この本は著者の並々ならぬけいさんへの愛で貫かれている。
けいさんの友人、仲間、けいさんに関わった全ての人達の愛で貫かれている。
山をやる人にも、やらない人にも、はじめる人にも、やめた人にも読んで欲しい。
単なるクライマーの山岳本ではない。
43歳という人生を生き抜いた、『谷口けい』という生き方を表現した本だと思う。
若者に読んで欲しい。スマホなんて放り投げて、読んで欲しい。
あと数日で、けいさんがこの星にさよならをした12月22日だ。
きっと世界中でけいさんに手を合わせている人達がいる。世界中だ。
手を合わせ、けいさんに様々な問い、報告、相談、誓い、約束をしているはずだ。
山に、森に、空に、星に、砂浜に、街に。フィールドはどこだって構わない。
至る所に、けいさんは『いる』。通りすがっただけの私にも感じる。
あなたも私も、けいさんを感じることのできる、その中のちっぽけな一人だと。
山に登れっていうんじゃない。
自分の人生という山を、生き方を楽しんじゃおう!向き合っていこう!
「やってみなければわからないじゃない」
けいさんの言葉は確かに太陽みたいだ。
この本には、たくさんの『けい語録』が散りばめられている。
著者である大石明弘氏に感謝したい。素晴らしい渾身の一冊です。
エピソードのひとつひとつ、よく拾い上げてくれました、表現してくれましたと思います。
けいさんが伝えたい事、ちゃんと表現できていると思う。読者の一人としての感想です。
きっと、けいさんも喜んでる。「代筆にしては上出来だね(笑)」と。
「いや、まだ私こっちでも登ってるし、冒険もしてるから(笑)」って次の星で言ってるかもしれない。
本に登場していた、平出さん、和田さん、野口さん、大石さん、その他のクライマー。
友人、知人、家族の皆さん。アスリートの皆さん。
皆さんは、けいさんにとってはこの星の居残り組だと思うんです。
ですから、この星に簡単にさよならをしてはいけません。
特に平出さんと野口さん。私は講演会に足を運んでますから。まだまだ話題を振りまいてください。
もちろん、人生の山を登ってるみんな、あなたも同じです。まずは温活から(笑)
「イトー君には山はちょっと『しっくりこなかった』だけなんじゃないの?」
「いいじゃん、他のことでガンガンいっちゃおうよ(笑)いけるいける、まだまだ(笑)」
そんな声が聞こえてきます。
けいさん、ありがとう。まだまだ、いきます。
Gracias
4年前から仕上げる事のできなかった記事。
12月になると仕上げられなかった記事をリセット(削除)する。
年を跨ぐなんて、鮮度がないからね。ネタも記事も鮮度が命。
しかし、ずっと未完成で残してあった記事がある。
今年こそはちゃんと向き合って仕上げてみようかと思う。
というのも、先日偶然立ち寄った本屋で見つけた本。
『太陽のかけら ピオレドール・クライマー 谷口けいの青春の輝き』 大石明弘 著
偶然とは思えない。必然の様な気がして仕方がない。
だから、やっぱり今なんだ。
けいさんは2015年12月に雪山で亡くなられてしまったクライマーです。
私、昔ちょっとだけ山に登ってた時期がありました。ちょっとだけです。
けいさんは年齢では1歳年上でしたが、まあ半端ないクライマーです。
そして、ミーハーな私はお会いしたことがあります。静岡の講演会で。
2010年1月31日。ピオレドール賞を受賞した報告会みたいな感じでした。
山岳連盟にも所属していない私でしたが幸運にも参加できました。
素敵な女性でした。キラキラして。可愛かった。本当に太陽みたいだった。
ちゃんと言えば、素敵なクライマーでしたと言う方が正しい。
隣にいた平出さんは、対極にギラギラと鋭い感じがした。もちろん、いい意味で。
ルート取りの解説で「第一の核心部の~」などと言う時の「核心部」の語気に鋭さを感じた。
私はちゃっかり『けいさん特集』が載っている雑誌『山と渓谷2009年12月号』を持ち込み、
講演後、迷惑にならないタイミングでサインをおねだりしちゃいました。
「受賞おめでとうございます。いつも応援してます。頑張ってください。」
「スミマセン、サインして下さい!」
「(雑誌の記事を見て)アハッ(笑)いいですよ!」
そんな感じで快くサインしてくれました。握手もしてもらった。
超興奮して、超緊張して、私は少年の様でした。今でも宝物です。
その後、私はとある山をソロで登っていた時に滑落。
下山を始めて15分。鎖場の一歩目だった。10メートル位落ちただろうか。
ザックの中の水筒やらコッフェルが背中や肋骨を直撃。左膝は変な方向に捻じれていた。
空が見えた。「これはヤバいやつだ。」大声で何度も叫んだ。「ヤバいやつだ!」
シーズンオフで、半日歩いてすれ違った登山者は一人だけ。
そして、昼過ぎの今からサミット直下のここに来る登山者はいないだろう。
この山はそれ程高くはないが、毎年遭難者や遭難死亡者を出している山だ。
「絶対に下山する。帰るんだ。」捻った足を直し、テーピングして下山を開始。
下山は行きとは別ルートだったので、迷ったらシャレにならない。必死だった。
何とか日没ギリギリで登山口に到着。駐車場にとめてあった車に乗り込む。
「あ~、ATでよかった。運転して帰れる。」腫れあがった左膝をさすりながら言った。
たった一歩。たった10mでこのザマだ。不甲斐なさと安堵感で泣けてきた。
「山やってりゃ、そんな事はあるもんだよっ。」て声もきこえそうですが・・・
私は単独行(ソロ登山)どころか、キッパリと山をやめた。
ま、私の昔話はいい。
山登りは止めても、野口健さんの講演会に行ったり、山岳本を読み漁ったりと、
常に山とか自然の話題にはアンテナを張る生活だった。でも、いいニュースばかりではない。
そんな中、2015年12月けいさんは雪山を700mも滑落してしまった。
8000m級のエベレストでなく、日本の雪山。しかも、サミットでのちょっとしたタイミングで。
ニュースで第一報を聞いて信じられなかった。吐きそうだった。
あのけいさんが?サインくれた、笑顔で握手してくれた、けいさん?
翌日、死亡のニュース。まるで友達を亡くしたかの様にショックだった。
たった数時間、同じ場所で同じ空気を吸っただけだけど、
サイン貰って、握手して、スマイルパワーをもらっただけだけど・・・
私にとっての『谷口けい』さんは2010年1月31日のままだ。
この本は著者の並々ならぬけいさんへの愛で貫かれている。
けいさんの友人、仲間、けいさんに関わった全ての人達の愛で貫かれている。
山をやる人にも、やらない人にも、はじめる人にも、やめた人にも読んで欲しい。
単なるクライマーの山岳本ではない。
43歳という人生を生き抜いた、『谷口けい』という生き方を表現した本だと思う。
若者に読んで欲しい。スマホなんて放り投げて、読んで欲しい。
あと数日で、けいさんがこの星にさよならをした12月22日だ。
きっと世界中でけいさんに手を合わせている人達がいる。世界中だ。
手を合わせ、けいさんに様々な問い、報告、相談、誓い、約束をしているはずだ。
山に、森に、空に、星に、砂浜に、街に。フィールドはどこだって構わない。
至る所に、けいさんは『いる』。通りすがっただけの私にも感じる。
あなたも私も、けいさんを感じることのできる、その中のちっぽけな一人だと。
山に登れっていうんじゃない。
自分の人生という山を、生き方を楽しんじゃおう!向き合っていこう!
「やってみなければわからないじゃない」
けいさんの言葉は確かに太陽みたいだ。
この本には、たくさんの『けい語録』が散りばめられている。
著者である大石明弘氏に感謝したい。素晴らしい渾身の一冊です。
エピソードのひとつひとつ、よく拾い上げてくれました、表現してくれましたと思います。
けいさんが伝えたい事、ちゃんと表現できていると思う。読者の一人としての感想です。
きっと、けいさんも喜んでる。「代筆にしては上出来だね(笑)」と。
「いや、まだ私こっちでも登ってるし、冒険もしてるから(笑)」って次の星で言ってるかもしれない。
本に登場していた、平出さん、和田さん、野口さん、大石さん、その他のクライマー。
友人、知人、家族の皆さん。アスリートの皆さん。
皆さんは、けいさんにとってはこの星の居残り組だと思うんです。
ですから、この星に簡単にさよならをしてはいけません。
特に平出さんと野口さん。私は講演会に足を運んでますから。まだまだ話題を振りまいてください。
もちろん、人生の山を登ってるみんな、あなたも同じです。まずは温活から(笑)
「イトー君には山はちょっと『しっくりこなかった』だけなんじゃないの?」
「いいじゃん、他のことでガンガンいっちゃおうよ(笑)いけるいける、まだまだ(笑)」
そんな声が聞こえてきます。
けいさん、ありがとう。まだまだ、いきます。
Gracias
